2015年01月07日

年頭にて

おくればせながら新年のおよろこび申し上げます。

年末からの風邪をこじらせてしまい、例年になくしっかりとお正月休みをとらせていただいたため、ご挨拶がすっかり遅れてしまい恐縮です。昨年も多くの皆さまのご厚意のおかげで、楽しくそして充実した一年となりました。

などとコタツでボンヤリ過ごしつつ往く年を振り返っていたところ、初詣でひいたおみくじにこんな文言が…。

   20150107_01.JPG

「十分の形」などという言葉には程遠い現状ではありますが、満ちたるは欠けるのはじまりという句に実に的確な戒めをいただいたように思いました。

迎えたばかりのこの年、もちろん一心に励むことに変わりはありませんが、それに加えて、少し落ち着いて自身を省みる時間をつくり、これからの仕事や家庭生活の在り方について改めて見つめなおす、そんな一年にできればとも考えています。



    line_09_10.gif



   20150107_02.JPG


本年も引き続きのご厚情の程どうぞよろしくお願い申し上げます。
posted by nakoji at 21:40| 日々のあれこれ

2014年03月31日

枝葉なりに

近頃は完全に業務連絡掲示板と化してしまっている当ウェブログ、反省の気持ちも込めて本日は日々の制作風景について記してみようと思います。たまの事ですので物珍しさに興味を持っていただけたら嬉しいですね。

さて今回とりあげる話題は…

    20140331_01.JPG


少し肌寒いくらいの気候のうちに済ませておきたい仕事、鍛冶ですね。
打っているのは木材の切削に用いる刃物です。


    20140331_02.JPG


現在、木工作に用いる刃物の入手法は、道具鍛冶職さんが製作されたものを求めるのが一般的かと思いますが、今でもごく一部に木工屋が自ら鍛えるのが主流というジャンルがあるんですよ。

そのマイナーな分野というのが、和式ろくろを用いた挽物(ひきもの:木材を回転させて円形の器物を削り出す加工法)の仕事です。挽物用のろくろには日本古来のものとは別に主に欧米で発展したスタイルもあるのですが、欧米式では自作刃物を用いるケースは少ないようですね。

    line_09_10.gif

ボクが木工ろくろを学んだ加賀山中は、数ある漆器産地の中でもとりわけ挽物木地生産が盛んなことで知られ、その集積度によって独自に培われた多くのノウハウが伝えられている地でもあります。

その最たる例のひとつが、この「ろくろ鉋(かんな)」製作の技術。薄手で繊細な造形や多様な挽き目文様を特徴とする山中木地は、その技巧的な作業に適した鉋があればこそのものと言えるでしょう。

もちろん木工における刃物とは、加工精度だけでなく生産性にも直結する道具ですから、数を挽いてなんぼの木地職人にとっても鉋の良否は最大の関心事のはず。

事実、木地師が刃物について語り合えばカンカンガクガクもめずらしい事ではありません。というのも、各工人の体格や筋力、得意とする品目や加工法、生産規模といった物理的な要因はもちろん、制作に対する基本的な考えや立ち位置、あるいはより直感的な好みや性分、クセなどによっても良しとする刃物の形状や素材、製作手順は千差万別だからなんですね。

独自に編み出した加工法に用いる特殊形状の鉋などについては、秘伝として人目につかないように気を配ったりする気風もいまだに残っているようですよ。

ちなみに木地挽き専業でもないボクの場合などは、製作する刃物の種類、品質ともたかが知れたものですが、幸いにも師事した木地師さんが制作する器物にあわせて手堅く鉋を整えることを是とする方だったため(汎用的な鉋ひとつで多様な加工をこなすことを粋と考える方もいらっしゃいます)、短い修業期間のわりには比較的幅広い形状の刃物製作の技術を学ぶことができたように思います。

また親方が手ずから鍛えてくれた鉋もいくつか手元に残っており、今も折にふれて手本として参考したり、ありがたく使わせてもらったりしていますね。

    line_09_10.gif

日々の制作を進めるうえで欠かせない道具や技法の全ては、言うまでもなく先達の工夫と研鑽の積み重ねによって形作られ、伝えられてきたものですが、その集積の度合いにおいてとくに産地というものの果たす役割の大きさや奥深さに改めて思い至る、そんな機会が鍛冶仕事をしているとよくあります。

産地に学びながら直接的にはそこに属さず活動している自分のようなつくり手は、幹から枝分かれした梢みたいなモノかなぁなんて思ったりする事もあるのですが、やっぱり枝葉はどれほど伸びようとも幹や根があってのものなんですよね。

小さな梢が巨木の恩に報いるのは難しいでしょうが、せめて自身をはぐくみ支えてくれる根や幹について日頃から意識的でありたいと思います。そして頼りない枝葉なりにも立木をにぎわせる花実を結べるよう頑張らねばな〜と気持ちもあらたまる春盛りのひと時です。


  20140331_03.jpg
posted by nakoji at 22:09| 日々のあれこれ

2013年08月25日

しゅくだい一冊

8月も残りわずかとなってようやく朝夕過ごしよい候になってきましたが、今夏の暑気は本当に厳しいものでしたね。そんな盛夏をやり過ごすには、昼下がり、活字をボンヤリ眺めながら夢うつつというのも良いものです。


    20130825_01.jpg
    脊梁山脈 乙川優三郎 著


手にとる書籍といえば図録や技術書など資料的なものばかりで、小説を楽しむことなど本当に少なくなった近頃なんですが、先日実家で目にした単行本の帯に「木地師」の文字を見つけ、不思議に思ってひらいてみたのが「脊梁山脈」でした。

今更のご紹介かもしれませんが、そのむかし木工ろくろを携えて奥深い山林を渡り歩き、木器を作って暮らしていたとされる「木地師」の源流を探るというなんともマニアックな題材を物語のたて糸とする小説です。

惟喬親王(これたかしんのう)や百万塔など、木地を挽く者にとっては馴染みある逸話が筋書きの上でも要点として扱われていて、興味深く読み進めることができました。木工芸、とくに挽物仕事に関心のある人ならきっと楽しめる小説ではないかと思いますよ。

物語のよこ糸としては、耽美的につづられた恋愛話や古代史の闇をめぐる著者独自の推論なども織り込まれていて、木工に興味を持たない方にもエンタメ小説の佳品としてオススメできる一冊かもしれません。

ちなみに乙川優三郎さん、蒔絵師を題材にしたお話も書かれているようで、木漆工芸にはひとかたならぬ関心をお持ちのようですね。今後の著作にも注目してみたいと思います。


    line_09_10.gif


ところで「百万塔」ってご存知でしょうか?奈良時代に国の安泰を願う称徳天皇が作らせた木製ろくろ挽きの三重小塔で、10の寺院に10万基ずつ、合計100万基を寄進したことから百万塔と呼ばれています。なかにおさめられた経文が制作年代が明確な世界最古の印刷物とされていることでも有名ですね。


    20130825_02.jpg


以前、奈良期オリジナルの百万塔を間近に拝見する機会があったのですが、純朴な信仰心と無私の手仕事の尊さを感じさせるとても美しいものでした。(予備知識による先入観の影響も大いにあったとは思いますが)


posted by nakoji at 18:23| 日々のあれこれ

2013年06月27日

整える

東京千駄ヶ谷、SHIZENでの「焼菓子とうつわ展」おかげさまで無事に終了いたしました。

会期初日にギャラリーにお邪魔して、ご一緒させていただいた陶芸家さんの多様な作品をじっくり拝見してきました。さすがにうつわのつくり手として多方面で活躍されている皆さんのお仕事、とても学ぶことが多かったです。


    20130626_01.jpg


そして本展にあわせてカフェ出店して下さった迷洋舎さんの焼菓子とぐりこーひーさんの自家焙煎コーヒーも、初夏にふさわしい爽やかな味わいでとってもおいしかったですよ。

4月から続いていた出展の最後に、嬉しいご褒美をいただいたような素敵な展覧会でした。

梅雨空、蒸し暑い気候にもかかわらず足を運んでくださった多くの皆さま、そしてギャラリースタッフ、出展作家のみなさんに心よりお礼申し上げます。
どうもありがとうございました。


   20130626_02.jpg


    line_09_10.gif


さて、春から初夏にかけて切れ目なく続いた出展もこれにてひと段落、ここ数日は少しノンビリさせていただいてます。掃除が行き届かないままの作業場、たまるにまかせていた事務仕事、積み下ろした状態で放置されている野外展の用具一式…、そんなものを片付けながら次の仕事に備えて気持ちを整理しているところです。

整える。今のボクにとっては、仕事の真ん中にある一語かなと思います。

資材を整える、道具を整える、作業場を整える、手法手順を整える。そんな様々な手続きによって気持ちが整えば仕事の大半は終わったも同じ、自ずと結果も整ったものとなる。

手工に携わるようになって以来(いや、それ以前の職場でもきっと同じだったのでしょうね)、その大切さを説いて下さる先輩に数多く出会ってきましたが(不出来ゆえにお叱りを受けることも多かったです)、近年ようやく身をもってその一語の重みを感じられるようになってきたかなと思っています。

まだまだ十分に実行できているとは言い難いのが実情ですが、せめて少し時間的にゆとりができたときくらいは、いわゆる「下仕事」と呼ばれるような作業、手間を惜しまずにしっかりと取り組みたいと考えています。

posted by nakoji at 11:37| 日々のあれこれ

2013年03月31日

私的アップル回顧録

先日上京の折、所用のため千駄ヶ谷駅に降り立つ機会がありました。
改札を出て、東京体育館に次いで目に入ってくるのがコチラのビルですよね。


    20130331_01.jpg


その昔、このビルの壁面に6色に塗り分けられた大きなリンゴのロゴが掲げられていたこと(自社ビルでもないのに)を懐かしむ人はどのくらいいるのかなぁ、なんて思いながらしばらくの間ボンヤリと眺めてしまいました。


    line_09_10.gif


10代の後半、ボクはApple社のMacintoshに夢中でした。

小学生の頃からホビーパソコンに親しんでいたボクにとって、Macはまさに憧れのスーパーマシンといった存在で、初めて手にした(当時でもひどく型落ちな「LC II」という機種でした)時には、その先進的な機能とムダのないデザインの素晴らしさにシビレたものです。


    20130331_02.jpg
    Macintosh Classic

    20130331_03.jpg
    Macintosh LC III

    20130331_04.jpg
    Macintosh Quadra 700


大学入学後に「MUG:Macintosh Users Group」(当時マイナーだったMacの愛好者がMac普及のために(笑)各地で同様の団体を作っていたんです、今も残ってるのかな・・・)という学内サークルに所属して、千駄ヶ谷のアップルコンピュータ(当時の日本法人)本社でイベントを催したこともありました。ちなみにそのころのアップル本社は現在のAppleStoreなどからは想像もできないほど飾り気のない実に簡素なオフィスでしたね。

時代はちょうどインターネット大衆化の黎明期。Macでネットサーフィン(死語でしょうか)を体験できるというだけで遠方からわざわざ足を運んでくれる人が大勢いたわけですから、今から考えてみると笑ってしまうほどに牧歌的な時代でした。

しかし程なく(大学初年度の晩秋でした)「Windows95」が発売されてMacの代名詞でもあったグラフィカルなユーザーインターフェースが広く知られることになり(それ以前は暗号のような命令文を入力することで操作するコンピュータが主流だったんです)、インターネットの劇的な普及も相まってパソコンが一気に家電化、世の中の情報化が飛躍的に進むという、その渦中にあってもそれと実感できるほどに変化の時代でもありました。

ITの業界では1976年前後生まれのインターネット関連の起業家たちを「76世代」などと呼ぶそうですが、ボクも能力と野心を兼ね備えた級友に付き従っていたら、今ごろ「IT長者」はないにしても「IT小金持ち」くらいにはなっていたかもしれないな〜なんて子供じみた想像をしたこともありましたね。どこで間違えたのか、目の前にある現実の仕事はひどく原始的な作業を強いるものばかりなんですが…。


そして、その後のボクのアップル熱はといえば、Windowsの台頭によるMacの独自性の後退や、Apple社の業績不振にともなう様々な醜聞や迷走、ボク自身の使用環境の変化、製品デザインの路線変更(iMacシリーズの定着)など、諸々の理由によって急速に冷めていったのでした。


    line_09_10.gif


以来、リンゴマークにはとんとご無沙汰だったのですが、つい先ごろずいぶんと久しぶりに(6色ロゴ時代でしたから、かれこれ15年ぶりぐらい?)にアップル製品を購入することに。

20130331_05.jpg

新型のタブレット端末「iPad mini」です。

話題の7インチクラスのタブレット、従来型の携帯電話との組み合わせがとても合理的かつ経済的に思えて各社の新製品が出揃うの待っていたのですが、大本命のGoogle社製の搭載カメラが思いのほか非力とのことで渋々(笑)アップルを選択。

「20年経った今でもQuadra700よりカッコいいパソコンは見たことない」なんて考えている懐古趣味のオールドMacファンにはオシャレ過ぎて恥ずかしい程のiPadではありますが、悔しいことに、その利便性と性能の高さに入手してほどなく片時も手放せない存在になってしまいました。

そのうえ毎日接していると、良くも悪くも昔と変わりない「アップルらしさ」を感じることもあり(自分たちが考える「スマートさ」をユーザーに強制したがるところ等々)、先端的な分野で業界をリードしているのは、やはり設立以来の開拓気質が今も残っている証拠なのかなと今更ながら感心したりもしています。

    line_09_10.gif

そしてこの小型タブレット端末、3歳のボウズが軽々と手にとって誰に教えられることもなく扱っている姿などを見ると、「パソコンの父」と呼ばれるアラン・ケイが理想のパソコンとして提案した「ダイナブック」(東芝製ノートパソコンではありませんよ)のことを思い出します。

Apple社の創業者の1人として高名なスティーブ・ジョブズに大きな衝撃をあたえたとされるダイナブックのコンセプト、詳しい知識があるわけではないので確かなことは言えませんが、漠然といま目の前にあるようなマシンだったのかもしれないなぁと想像しています。

つまりタブレット型パソコンという新しい分野においても、いち早くエポックを感じさせる程の製品を作り上げたアップルの先見性と開発力には、素直にさすがと言うほかないということになってしまいますか。

あれ、そんなつもりは全くなかったのですが、結局はアップル賛辞で締めくくることになってしまいましたね。自分では完治していると思い込んでいたリンゴ熱病、20年経っても治ってなかったってことなのかな〜。


ちなみに生前のスティーブ・ジョブズは7インチクラスのiPad開発には強く反対していたとの記事を目にしたことがありますが、個人的にはこのサイズ、常時携帯する使用方法でしたらツボを押さえたとっても良い設定だなぁと思います。
posted by nakoji at 22:42| 日々のあれこれ